<記事和訳> 

インターナショナルプレスジャパン

199943日掲載


ジョビンの芸術のなかに自分を見つけた・・・ 

「音楽の優しさを取り戻すために」

 (取材=Edson Urano) 


歌手の吉田慶子にとって、ボサノヴァとの出会いは人生に転機をもたらした。3才からピアノの勉強を始め、何らかの形で音楽との関わりをずっと持っていたが、アントニオカルロスビジョンとの出会いが歌手としてのデビューのために勇気を与えた。彼女の多彩なレパートリーには、「ワンノートサンバ」や「ジザフィナード」などボサノヴァの古典と並んで、シコ・ヴァルキ作曲の「オルリーのサンバ」、マリーザ・モンチが歌っている「ボルボレータ」などがある。レパートリーは、彼女の所有する300枚を超えるブラジル音楽のCDのなかから、自然にできあがってくるのだという。 ボサノヴァと出会うきっかけとなったのが、アストラッドジルベルトの音楽だった。それは中学生の時。しかし、慶子に大きな影響を与えたのはジョアンジルベルトの演奏だった。やさしくて純粋なジョアンのアートは、慶子のインスピレーションの源となっている。ジョアンの音楽に出会った事で、自然体の歌を見つけたという。ジョアンの世界に夢中になりピアノからギターにかえて演奏するようにもなった。慶子のキャリアにもう一つ決定的な出来事といえば、それはトロンボーニスト田庫秀樹氏との出会い。プロの音楽家として30年ものキャリアをもつ彼は、長年ジャズを演奏しながらもボサノヴァのような音楽をやりたいと考えていた。そのボサノヴァに対する共通の思いから、二人のパートナーシップは生まれた。今は演奏するメンバーも安定しているため、慶子はボサノヴァのもつ独特なソフィスケイトなメロディとサンバから存続されたリズムに挑戦している。しかし始めた頃は、メンバーの間でのボサノヴァに対するコンセプトの違いや、日本人の一部にまだイメージとして強く残っている「ジャズサンバ」風になってしまうこともあったという。  慶子は、ボサノヴァが音楽という範囲を越えたものであると感じている。ジョビンの書物に記されているものの中にも、この音楽が生きていくことに対する哲学をも伝えていると感じている。「私たちは今、様々な音にあふれた世界で音響の暴力にさらされながら生活しています。私はもっと音楽のなかのやさしさを取り戻す必要があると思っています。」その自然の音のやさしさを取り戻すために、慶子は自分の声とギターで静かに演奏している。将来に向けて、慶子は日本語のボサノヴァにも挑戦している。すでに何曲か出来上がっており、CD制作も考えている。今年の8月には、仙台フィルハーモニーとの「グローバル・ピース・コンサート」でジョビンの曲を演奏する予定である。


・・・・インターナショナルプレスジャパン 199943日掲載